「正しさ」の解像度を上げるほど、なぜ組織は窒息するのか—— 個の尊重とデータの罠が招く「構造的麻痺」

1. [問題提起] 自由と透明化の果てにある「息苦しさ」

皆様は、職場の採用現場や経営会議のテーブルで、こんな奇妙な感覚に襲われたことはありませんか?

「昔より自由になったはずなのに、昔より息苦しい」

「データで見える化を進めたのに、打つ手がない」

かつて、日本の組織は画一的でした。新卒一括採用、年功序列、根性論。それは窮屈でしたが、ルールは単純でした。「言われたことを、我慢してやる」。それが美徳とされた時代です。

しかし現代は違います。「あなたの個性を発揮してください」「多様な働き方を認めましょう」「データに基づいて客観的に判断しましょう」。

耳触りの良い言葉が溢れ、ツールは進化し、私たちは個人の権利も、現場の問題点も、かつてないほど「高解像度」で見ることができるようになりました。

それなのに、なぜ現場では「正解がわからない」という焦燥感が募るのでしょうか。

なぜ、コンプライアンス研修を徹底し、エンゲージメントサーベイを行い、個を尊重する制度を作れば作るほど、組織の中に「分断」や「諦め」が広がっていくのでしょうか。

一見バラバラに見える「採用の難化」と「現場の疲弊」。

実はこれらは、私たちが良かれと思って進めてきた「正しさの過積載」と「解像度の罠」という、一つの巨大な構造問題に根差しています。

本稿では、ある体験会(DELTA SENSE)で語られた「就活の変容」と「データのパラドックス」という二つの事象を入口に、現代社会が陥っている「構造的麻痺」の正体を解き明かしていきます。


2. [背景考察] 「モーニング娘。」化するビジネスパーソンと、残酷なiPad

体験会の議論の中で、現代の窮状を表す非常に興味深い比喩が登場しました。それは、アイドルグループ「モーニング娘。」(ハロー!プロジェクト)のオーディションの変化です。

かつてアイドルといえば、「歌がうまい」「ダンスができる」あるいは「顔が可愛い」という要素があれば、スターへの切符を掴めました。しかし、現代のアイドル市場はどうでしょう。

「歌やダンスがうまいのは、もはや『前提(ベースライン)』に過ぎない」と、議論の中で指摘がありました。その上で、「演技ができる」「トークが面白い」「書道ができる」といった、+αの一芸(タグ)がないと、選考のテーブルにすら乗らないのです。

これは、ビジネスの世界でも全く同じことが起きています。

かつて企業は「素材」を採用し、社内で育てていました。しかし経済の停滞と共に企業の「育成余力」は枯渇しました。

結果、今の若者に求められるのは、「PCスキルや論理的思考はあって当たり前(足切りライン)」で、その上に「SNSで何万フォロワーいるか」「起業経験があるか」という、過剰なまでの「スペックのインフレ(要件の肥大化)」です。

企業は「多様な人材が欲しい」と言いますが、その実態は「育成コストをかけずに、最初から完成された多様な手札を揃えたい」という、極めて合理的なコスト削減の力学が働いています。

一方で、社会的な支援の現場に目を向けると、もう一つの「正しさの副作用」が見えてきます。

それは、教育現場における「タブレット(iPad等)の配布」です。

「貧困家庭の子どもに学習機会を。全員にiPadを配ればスタートラインは揃うはずだ」。これは人道的に正しいアプローチです。

しかし、モノ(ハードウェア)を平等に配った瞬間、残酷にも「文脈(ソフトウェア)」の格差が露呈しました。

ある家庭では、親が知的好奇心を刺激し、iPadは「世界と繋がる百科事典」になります。しかし、別の家庭では親が放置し、単なる「ゲーム機」となり、あるいは生活費のために売却されることすらあります。

ここで起きているのは、「資源(リソース)の提供」では「文脈(コンテキスト)の欠如」を埋められないという現実です。

「個」のスペックを高めようとする圧力と、「環境」さえ整えれば平等になるという幻想。この二つが、現代の組織や社会に強烈な摩擦を生み出しているのです。


3. [伏線] 「優しさ」が生む分断と、「7倍の悲鳴」

さて、視点をもう少し組織の内側に移しましょう。

優秀な「個」を採用し、公平な「制度」を整えたはずの組織で、次に起きるのは「多様性の衝突」と「データの飽和」です。

ここで、体験会の卓上で出された二つの象徴的なエピソードをご紹介します。

一つは、日本を代表する大企業・資生堂でかつて起きたとされる現象(※構造理解のためのケーススタディ)です。

女性活躍推進(DEI)の流れで、子育て中の社員が働きやすい制度を整える。これは正しいことです。しかし、その結果何が起きたか。

「早く帰る社員」の業務のしわ寄せが、静かに「独身社員」や「子育てを終えた社員」に向かいました。

恐ろしいのは、対立が「男性 vs 女性」ではなく、「制度を使える女性 vs 制度を使えない女性」という、属性内部での分断に発展したことです。

「感情を優先したら赤字になった」という議論の言葉が示す通り、全体の業務総量(パイ)を変えずにプレイヤーの属性だけを多様化させた結果、現場はゼロサムゲーム(誰かの得は誰かの損)に陥りました。

もう一つは、児童虐待の相談件数がここ数年で「7倍」になったというデータの話です。

日本の家庭は数年で7倍も残酷になったのでしょうか? 違います。SNSや通報ダイヤルが整備され、「今まで聞こえなかった悲鳴が、拾えるようになっただけ(可視化されただけ)」なのです。

これはビジネスでも同様です。サーベイやデータ分析ツールを導入すればするほど、「不満」や「問題」が可視化されます。しかし、マネジメント層は「悪い数字」を見るたびに萎縮し、「これ以上どうすればいいんだ」と思考停止に陥ります。

ここに、現代社会の構造的なジレンマがあります。

私たちは「個を尊重しよう」「事実を直視しよう」と正しさを追求すればするほど、「解決策のない問題」を大量に抱え込み、そのコストを現場の個人の「道徳心」や「努力」に転嫁しているのではないでしょうか?

議論の中で誰かが呟いた、「マクロミルの『冬の鍋』アンケートの方が、ビッグデータより価値があるかもしれない」という言葉。

あるいは、「データサイエンティストの孤独」。

これらはバラバラに見えて、実は一本の線で繋がっています。私たちは今、「高解像度で地獄を見ること」には成功しましたが、「そこから抜け出す物語」を見失っているのです。


4. [解説] 構造の「間(あわい)」にあるレバー

それでは、この絡み合った糸を解きほぐしていきましょう。

採用における「スペックのインフレ」、組織における「多様性の軋轢」、そして「可視化のパラドックス」。

これらを貫くメカニズムは、以下の3段ロジックで説明できます。

1) 観測された現象(Phenomenon)

「個の尊重」や「透明化」を進めれば進めるほど、個人の負担が増え、現場の人間関係が悪化し、組織が動かなくなっている。

2) 反復するメカニズム(Structure)

原因は、「総量の固定化」と「文脈の欠落」にあります。

まず、仕事の総量や報酬の原資(パイ)を変えずに、プレイヤーだけを多様化させたため、必然的に「誰かのケアは、誰かの残業」というゼロサムゲームが発生しています(DEIのジレンマ)。

同時に、私たちは「データ(数値)」や「スペック(属性)」という「What(なに)」ばかりを高解像度で集めていますが、「Why(なぜ)」という文脈を見落としています。

「虐待件数7倍」という数字(What)は見えても、その親が追い詰められた背景(Why)は見えない。「ハイスペックな人材」という条件(What)は並べても、その人が自社でどう機能するかという関係性(Why)は設計されていない。

つまり、「構造のコスト」を払わずに、「個人の性能」や「ツールの導入」だけで乗り切ろうとする手抜きこそが、再発する問題の正体です。

3) ”間”に潜むレバー(Lever)

では、どこを変えればこの構造は好転するのでしょうか。

構造を変えるレバーは、「評価の前提(プロトコル)の書き換え」と「N=1の復権」にあります。

例えば、時短勤務の社員がいるチームにおいて、「残業してカバーした人」を評価するのではなく、「カバーが必要になった業務プロセスそのものを廃止・削減した人」を評価する。これは「個人の頑張り」ではなく「間のルール」への介入です。

そして、データにおいては「ビッグデータ」だけでなく、「スモールデータ(厚みのある記述)」を取り戻すことです。

議論で出た「学生によるインタビュー」や「冬の鍋アンケート」が示唆するのは、「たった一人の具体的な物語(N=1)」が持つ突破力です。

「離職率が5%上がった」という報告は絶望を生みますが、「入社3年目のAさんが、実はこういう理由で辞めた」という具体的なエピソードは、「じゃあ、この制度を変えよう」という具体的なアクションを生みます。

「個」のスペックではなく、「個と個の間にあるルール」を変える。

「量」のデータではなく、「一人の物語(文脈)」を見る。

これこそが、硬直した構造を溶かすための最大のレバーなのです。

【検証可能な仮説】

もし、あなたの組織の会議で、数字の報告の後に「その数字を構成する、具体的な一人のエピソード」を必ずセットで話すルールにしたらどうなるでしょうか。

(例:「売上が落ちています」ではなく、「売上が落ちています。象徴的なのは顧客Bさんのこの一言で…」)

仮説ですが、「対策の具体性」と「合意形成のスピード」が劇的に向上するはずです。 人は数字では動かず、文脈(物語)で動く生き物だからです。


5. [結論] 結論ではなく「前提」を疑え

私たちは、「分かりやすい正義」に飛びつきがちです。

「個性を活かすのは良いことだ」「データですべて可視化すべきだ」。それは間違いなく真実です。

しかし、その美しい理念を支えるための「足場(構造)」が腐っていれば、その上に立つ人々は共倒れします。

「モーニング娘。」のように高いスキルを要求され、資生堂のケースのように内部で分断させられ、iPadのように道具だけ渡されて放置される。

そんな消耗戦から抜け出すために必要なのは、もっと頑張ることでも、もっと最新のツールを入れることでもありません。

「このゲームのルールは、本当にこれでいいのか?」と、盤面そのものを疑う視点です。

DELTA SENSEという体験会で、参加者がカードを並べて「つながり」を発見したように、現実社会でも、一歩引いて全体を俯瞰する視座を持ってください。

あなたが現場で感じている「違和感」や「理不尽」は、あなたの能力不足のせいではありません。それは、時代が変わったのに、仕組みが変わっていないことによる「構造の摩擦熱」です。

次回の会議で、あるいは採用面接で、結論を急ぐ前に一度立ち止まってみてください。

そして、こう問いかけてみてください。

「私たちは、新しいワイン(人材・多様性・データ)を、古い革袋(評価制度・業務プロセス・思考法)に入れようとしていませんか?」

その静かな問いかけこそが、窒息しかけた組織に風穴を開ける、最初の一撃となるはずです。


C. 用語解説(Glossary)

  • スペックのインフレ(Requirements Inflation)
    • 採用市場などにおいて、求められる能力や要件が年々肥大化していく現象。かつては差別化要因だったスキルが、時間の経過とともに「足切りライン(前提条件)」となり、個人の負担が増大する。
  • ゼロサムゲーム(Zero-sum Game)
    • 一方の利益が、他方の損失になる状況。全体の総和(パイ)が増えないため、取り合いになる構造。組織改革においてリソース投下なしに制度変更を行うと、この状態に陥りやすい。
  • DEI(Diversity, Equity & Inclusion)
    • 多様性(Diversity)、公平性(Equity)、包摂性(Inclusion)の略。単に多様な人材を集めるだけでなく、公平な機会を与え、組織の一員として活かす概念。Equity(土台の公平性)の欠如が、しばしば現場の軋轢を生む。
  • 生存者バイアス (Survivorship Bias)
    • 特定の結果(成功・生存など)のみを基準に判断を下してしまい、失敗事例や「見えなくなったもの」を見落とす論理的誤謬。データ分析において、拾い上げられなかった「声なき声」を無視する危険性がある。
  • シック・データ (Thick Data)
    • ビッグデータ(薄く広いデータ)に対し、少数のサンプルでも文脈、感情、社会的背景を含んだ「意味の厚み」があるデータのこと。定性調査やエスノグラフィーによって得られ、「なぜ(Why)」を解明する鍵となる。
  • 意図せざる結果 (Unintended Consequences)
    • 良かれと思って行った施策が、当初の意図とは異なる(しばしば否定的な)結果をもたらすこと。iPad配布による格差拡大や、透明化による現場の萎縮などがこれに当たる。

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